『一発逆転』通信

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    今日のかて 「罪を覆われし者」
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      c.今日のかて

      【レビ記13:9ー17】

      今日主が私達に語られるのは私達の罪の姿です。

      レビ記は非常に難解に思われがちですが、それを丁寧に霊的視点で見つめていくのであれば、ただの律法としての形式の問題ではなく、私達の本質的姿が地上に現された型として語られています。

      このツァラート(口語訳聖書においてはらい病と訳されていますが、正確にはその訳とは全く異なる病について書かれておりますので、原文と同様ツァラートという言葉で表記させていただきます。)の問題に関しては、ただ突然発祥するものではなく、これは神に対する人の罪がこのような表面に見える形で病として発祥したものとして聖書には語られています【民数記12:9-15】。

      そしてその本質がここに、罪の現れとは如何なるものなのかという形で語られているのです。

      ここにおいて、皮の下の「生肉」というグロテスクな表現に、目を背けずしっかりと目を向けるのであれば、

      まさに人は骨に筋が与えられ、そこに肉を生じさせ、皮で覆ったものにすぎません。【ヨブ記10:11,12】【エゼキエル37:4-6】

      私達はどんなに外見をきれいに見せていても、その内側には惨めなことに、罪を求めて止まない人の本質を宿しているのです。【ローマ7:22-24】

      ですから、この罪が神により表面に現されているというのが、この病の本質となるのです。

      主は罪を重ねる人に、このように御手を置き、さらに罪を重ね続けることがないよう、またこの罪が他の人々に伝え広がることがないよう、聖別の中で取り分け、ツァラートとなった者を宿営の外に出させたのです。

      しかし、ここにこの病が全身を覆い白くなった時という不思議な記述を見るのです。

      私達がどうしようもなく罪人であるということを知り、この事実を受け入れる時、私達はまるで全身が罪人のように、自らの罪を神の前に恥じ、悔い、苦しむことでしょう。

      そして私達は一つの結論に達します。

      それはこの罪を贖う贖い主にすがるしか、自らではこの罪をどうにもできないという結論です。

      この時、私達はこの罪の自らを携えて、贖い主が待つ十字架の元に身をささげるしかないのです。

      その時、主は私達の罪をご自身の十字架の上で流された血潮で真っ白に清めてくださいます。【黙示録7:13,14】

      もはや主は私達の罪を見られることなく、主イエスの血を見て、私達を雪のように白いと言われるのです。【イザヤ1:18】

      同時に主はこの私達を主ご自身と共に十字架につけられます。そして、私達はこの罪に死に、キリストに生きる者とされるのです。【ローマ6:3-11】

      そして私達はキリストを着る者となります。【ガラテヤ3:27】

      まさにキリストに覆われ、真っ白く罪を覆われた姿。何と主は憐れみ深い方でしょうか!

      罪に覆われていた者が、限りない神の愛、十字架の贖いにより、真っ白いキリストを着る者とされるのです。永遠に。

      ですから、私達はこの愛から一歩も出ないよう、この罪を重ね続けるような愚かなことを続けてはなりません。

      覆われたこの方を、少しも脱ぎ捨てるようなことを続けてはならないのです。

      私達の人としての弱さは、私達を罪に引き戻そうとするかも知れません。

      しかし、私達はだからこそ、この十字架の元を一歩も離れはならないのです。

      むしろ、この十字架の血潮の内に、釘づけられたキリストご自身の内に、この罪を悔い改める日々の中で、主を本当に喜ばせ、愛することのできる、全き聖いものとされることを、今心から望もうではありませんか。

      多くの兄弟姉妹が、信仰の何かしらの活動や、善行、知識を蓄えることや、自らの信仰的に思える何かによって、クリスチャンとしてのクリスチャンらしさを手に入れようと努力します。

      しかし、そのことでは、あなた自身の罪の本質は何一つ変わらないばかりか、積み重ねたあらゆることが全く神との関係を変えることなく、心に平安は与えられず、返って積み続けた努力の虚しさと疲れだけを重ねる日々となるのです。

      そのため、心が塞ぎ込んで、表面だけでも慰められる、慰めの言葉を求め、その本質は癒えることのない罪から来る報酬としての死に、不安を重ねる日々が続くのです。

      もしもあなた自身がそのような中に生きるのであれば、今こそ、命の本質から、新しくされるべき時です。今こそ、十字架の元に自らを携え、罪の根源ごと新たにされるべく、主の贖いの恵み、悔い改めの恵みを受け取りに行くべき時です。

      この十字架の道を経ずして、私達は本来信仰者としての道を歩むことはできないのです。

      愛する兄弟姉妹、神の民としての集まり、その宿営の中に永遠に生きるために与えられたただ一つの命への道、この十字架の元に今共に集おうではありませんか。


      ※今日の聖書箇所になります。ご参照ください。

      【レビ記13:9ー17】

      13:9 もし人にらい病の患部があるならば、その人を祭司のもとに連れて行かなければならない。

      13:10 祭司がこれを見て、その皮に白い腫があり、その毛も白く変り、かつその腫に生きた生肉が見えるならば、

      13:11 これは古いらい病がその身の皮にあるのであるから、祭司はその人を汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、これを留め置くに及ばない。

      13:12 もしらい病が広く皮に出て、そのらい病が、その患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、

      13:13 祭司はこれを見、もしらい病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。

      13:14 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。

      13:15 祭司はその生肉を見て、その人を汚れた者としなければならない。生肉は汚れたものであって、それはらい病である。

      13:16 もしまたその生肉が再び白く変るならば、その人は祭司のもとに行かなければならない。

      13:17 祭司はその人を見て、もしその患部が白く変っておれば、祭司はその患者を清い者としなければならない。その人は清い者である。


      【民数記12:9-15】

      12:9 主は彼らにむかい怒りを発して去られた。

      12:10 雲が幕屋の上を離れ去った時、ミリアムは、らい病となり、その身は雪のように白くなった。アロンがふり返ってミリアムを見ると、彼女はらい病になっていた。

      12:11 そこで、アロンはモーセに言った、「ああ、わが主よ、わたしたちは愚かなことをして罪を犯しました。どうぞ、その罰をわたしたちに受けさせないでください。

      12:12 どうぞ彼女を母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人のようにしないでください」。

      12:13 その時モーセは主に呼ばわって言った、「ああ、神よ、どうぞ彼女をいやしてください」。

      12:14 主はモーセに言われた、「彼女の父が彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日のあいだ、恥じて身を隠すではないか。彼女を七日のあいだ、宿営の外で閉じこめておかなければならない。その後、連れもどしてもよい」。

      12:15 そこでミリアムは七日のあいだ、宿営の外で閉じこめられた。民はミリアムが連れもどされるまでは、道に進まなかった。

      【ヨブ記10:11,12】

      10:11 あなたは肉と皮とをわたしに着せ、骨と筋とをもってわたしを編み、

      10:12 命といつくしみとをわたしに授け、わたしを顧みてわが霊を守られた。


      【エゼキエル37:4-6】

      37:4 彼はまたわたしに言われた、

      、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。

      37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。

      37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。


      【ローマ7:22-24】

      7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

      7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

      7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。


      【黙示録7:13,14】

      7:13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。

      7:14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。


      【イザヤ1:18】

      1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。


      【ローマ6:3-11】

      6:3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

      6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

      6:5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

      6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

      6:7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

      6:8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

      6:9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

      6:10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

      6:11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。


      【ガラテヤ3:27】

      3:27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。


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